北のフィールドノート

snowmelt.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2020年 01月 11日

タンチョウが津軽一帯にいたという記事から,こう思う

ブラキストン線を思うこと縄文の言葉を思うこと                                下北自然学巣 大八木 昭

タンチョウヅルは今は日本では北海道でしか見られない。ずっと前は釧路湿原阿寒にしか見られなかった。それがエサ遣りなどで保護されて増えて,根室にも十勝にも北の方にも段々と広がりを見せてきている。
では,江戸時代はどうであったか。津軽の鶴田町ではツルがいたと,ツルを公園で飼育したりしていた。そして,弘前藩庁日記にタンチョウ,マナヅル,ナベヅルがいたという献上者の記録があったと言うことなのだろう。江戸末期から明治にかけて,トーマス・ブラキストンが北海道の動物は大陸と関係が深いのは,北海道は大陸とつながっていたからだろうと言ったのを,ジョン・ミルンの提案で,津軽海峡は本州と,大陸とのつながりの深い北海道とを分ける線としてブラキストン線というようになっ
て今にいたっているものである。ブラキストンは鉄砲が得意で,函館でトキを撃ち,その標本は北大の博物館に所蔵している。日本全国北海道にもトキがいたということである。
今回,大陸にも北海道にもいるタンチョウが,江戸には津軽にいたという記録が見つかり,それほど厳密に津軽海峡で分布が区切られているものではないという証拠がふえてきたということである。
下北ジオパーク構想ガイドブックでは,これとは全く真逆の立場をとっており,小川原湖で漁もしていたし,大畑川で,最後の記録とも言われるイトウなどをも,本州には全く居なかった,津軽海峡を越えた動物はいなかったという考えで出版されており,いまも訂正する兆しは微塵もみられない。クマゲラだって本州にはいた。エゾホトケだって青森にいた。まあ,いまはブラキストン線うんぬんでなく,

むつには湿地帯にある,泥炭を「サルケ」と呼び,家の周りに積み上げ,乾燥させて,燃料として燃やしていた時代があった。煙がひどく,眼病にもなったようだ。

サルとは「湿地を言う」縄文語(アイヌ語)で,タンチョウヅルは 湿地の神 サろルンカムイ(葦原・内・にいる・神)と呼ぶ。

そこで,津軽にいた縄文人はかれらタンチョウをその湿地帯で,サロルンカムイと呼んでいたとわたしは思う。

タンチョウが津軽一帯にいたという記事から,こう思う_e0039759_21320937.jpg


by snowmelt | 2020-01-11 21:32 | 鳥類 | Comments(0)


<< 東奥日報はやっぱりダメか。ハン...      すてきな瞳の娘さん >>