北のフィールドノート

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2023年 02月 09日

「DNA鑑定」ブルーバックス 梅津和夫著紹介 と縄文への旅

『世の中にはDNA鑑定の本が少なからず出回っているが,「入門書」といえども大学で学ぶ人向けに小むずかしく書かれているものが多い。
本書はそれらとは一線を画し,私自身が遊び心で取り組んできた研究を紹介しながら,現代科学の一つの集積であるDNAを読む楽しさを伝える,本当の意味での「DNA鑑定の入門書」をめざした。本道だけでなく脇道やけもの道にもそれる,筆者に似てかなり気まぐれになってしまったが,読んでいただいたみなさんにDNA鑑定を通して,生命のたどった軌跡と神秘を垣間見ていただけたら幸いである。』ーー「DNA鑑定」はじめに,から

ーー著者は現在・山形大学医学部法医学教室客員准教授--シベリア抑留者などのご遺骨のDNA鑑定をなさっている。

青森県東通村尻屋のあべ洞窟からでた
『数千年前の離れた場所にあった化石人歯2つから,それらは同一人物に由来すること』

そのことををDNA鑑定でつきとめることをした希有の才能の職人である。

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ここでGoogle Earth Studio を使ってオープニング動画を作ってみました。

次の写真が尻労の安部洞窟の写真,洞窟はこの背後に5つあるが,この洞窟から出たという。
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古代の人骨などからDNAを鑑定するには,日本では酸性環境にさらされることが多く,DNAの分解がすすんでしまって解析できないということが多いらしい,
日本海側はとくに分解が進み,解析は困難だそうである。
太平洋岸は津波などで海水を被ることがあったために,酸性よりも海水アルカリで中和などされ,そのため太平洋岸の遺骨からはDNAの解析が可能になるという。

尻労安部洞窟が在る処は桑畑山といい,全山全地下石灰の山である。酸性の雨が降っても鍾乳石となって中和される。

その洞窟にとっては酸性化から骨DNAをガードする自然のシェルターになっていると考えられる。
海のすぐ傍でもあるので,何度かの津波はさらに,被ったかも知れない。
4000年前のそんな,人骨歯が尻労のこの洞窟から2つ見つかり,核DNAも分析同一人物のものだと鑑定できたという記念すべき洞窟を何度も見てきたのに,現在そうであるとわかって,非常にたのしい気分である。

それに,mtDNAでも,アムール川下流域のウリチと同じD4h2がみられたと言うことは,北からきたか,北へ向かったか,

常識的に考えれば,4000年前が先だろうとかんがえられるだろう。4000年前のさらに前なら,北は氷河期のまっただ中になるだろう,

先にアムール川流域にD4h2をもつ民族がいた,そちらにいたと考える人は誰かいるのだろうか。


○「科捜研の女」を見てる人なら,これを読まなきゃ。
○日本人はどこから来たのか,縄文人の起源はどこなのか,など興味ある人ならこれを読まなきゃ。
ちらっと紹介「原日本人というべき民族は,氷河時代に沖縄で育まれ,・・九州へ渡り,縄文人となり,(あること7300年前の出来事が移動を加速させたと梅津先生が書いているのでぜひご一読を)があってから北方へ(樺太へも)拡散し,さらに二度にわたる大陸からの(最初のはぱらぱらと徐々に混血しながら,二度目は一度にやや多く日本中央まで)渡来人が進出してきて弥生人となり,二重構造をもつ日本列島人が形成された。1300年ほど前に北海道縄文人とオホーツク人とが混血してアイヌ民族となったなどDNA鑑定のプロが語るのだから,科学的根拠が怪しげな考古学者の言うことより,こっちをとるべきじゃないか。
○DNA鑑定で迫る生物の謎
○ジェラシックパークの琥珀の中の蚊からはDNAは採れないとか
○現生人類はネアンデルタール人の遺伝子を受け継いでいるっていう,まやかし?サイエンスの論文のDNA謎解き
などいろいろ
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2019年9月20日発行,本体価格1000円。出来たてだよ。
この写真の本は直接,御著者から手渡し頂いた。すぐに,サイン入りにして頂いた。

4000年くらい前のアムール川下流の先住民・ウリチに見られるミトコンドリアDNAの D4h2が
尻労(発音はいまは,シツカリ)またはシズカリだった)にあることが,これまた普通にぼやっと考えると分らないだろう。間違うと困るから書いておくよ。


氷河期10万年位前に南西諸島沖縄あたりに旧石器人(第1渡来人)が流され着いて,あるいは別な方法でたどり着いて,南西諸島で貝殻で釣り針を作れるくらいの旧石器時代を過ごすうち進化して縄文人と呼ばれるまでになった。そしてだんだん暖かくなるにつれ九州にまで分布を広げ繁栄した,さらにだんだん温暖化して(海の水が増えてくるのは分るな。)北上してくる。青森までくる。下北半島まで来る。尻労シツカリまで来る。あとは北上できない。そのmtDNAがアムール川下流の先住民族ウリチといっしょとはシツカリが先でしょう。2万年前なら,陸橋が出来てなくても,縄文人は幾らでも北海道に渡っていける。だから北海道縄文人,樺太縄文人,千島縄文人そして,アムール川下流まで行って住んだままの樺太縄文人がウリチ,でここまでまでたどり着いたD4h2がまた,南下して,南下して北海道宗谷と樺太はながく陸続きだから
南下して,

そして津軽海峡を今度は丸木舟で渡って今の海流なら北海道からこっちに渡るのはボートでも無理だと,青森から函館にカヌーで渡った青森高校ボート部のひとから聞きました。ウリチは現代人よりやるかも知れないけど。


ところで,アイヌ民族は,いつできたかと言えば,1300年前に北海道縄文人とオホーツク人が混血して出来たのだと言うのはmtDNAから,わかってるんだ。

オホーツク人とはなにかと言えば,
mtDNAを調べても,アムール川下流の先住民ウリチと樺太にすむニブフ族にしか世界で当てはまるのがないというのだから,

オホーツク人とは暖かくて北へ行ったけど,小氷期と呼ばれる一つ前の寒冷化(図の青いところ)で寒くなったのでまた南下してきた出戻り樺太千島縄文人たちを言うのでないのか。
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尻労のD4h2をもったヒトたち全ての縄文人はことばは何を使っていたと思う?

そう縄文語だよね。
縄文語を再現して見せようか。


オダノサワの砂浜で北を見よう。写真と動画ナキスナが何処やったか見つからないので進む
ずっと手前から砂浜。一応長い砂丘だ。その向こう奥に青っぽい,こんもりとした岩山がみえるだろう。
砂浜を北へ歩く3家族がいる。子どもは歩きたくない。
「アベ」「アベ」津軽人なら分るでしょう。行くぞ,一緒に行くぞ とさそう言葉。
「ワ ・フェツネ・エーン」ワは津軽人なら私,自分のこと。
いいや,「ア ・フェツネかもしれない」アは樺太アイヌ語で自分のこと・・・・樺太アイヌ語 入門会話 村崎恭子著 緑鯨社1800円+税
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--------百田尚樹は日本国記の18ページに『なぜ魏のヒトは日本を「倭」と呼んだかと言うことだ。
私は,魏に赴いた使節が自分たちのことを「わ」と言ったのではないかと想像する。
日本人は昔も今も,自分のことを「われ」「わし」「わがはい」などと言う。東北地方の一部には「わ」という言葉も残っている。
古代中国へ渡った使節は,「お前たちは何者だ?」と訊かれて,自分たちのことを「わ」と言ったのでないか。
それを聞いた中国人が,記録に「倭」ないし「倭国」と書き,その呼び名が日本に逆輸入されたのではないだろうか。
もちろん文献が残っているわけでなく,私の推測にすぎないことをことわっておく。』--------日本国記 百田尚樹 幻冬舎,1800円+税,アマゾンでも買えます。

むつ市にはTUTAYAしかないからな。
フェツネはセツネー,切ないこれはかなり近代かな。エーンと泣くのは昔もそうだろか。ここら辺は分らない。
そして,長い砂浜をたどってやってきたところは尻労の桑畑山の断崖だった。

そこで族長はなげいて言った「シツカリ」疲れていたから「シズカリー」とどん詰まりだ,行く手を阻まれたところだの意味。


いや,こう言ったかもしれない『「シリ・ト゜カリ」と。

即ち「シリ(sir「地面,土地,山)・ト゜カリ(tukari「・・・の手前」すなわち「山の手前の意味で,

発音上は前後の語尾のrが,後のtに引きつけられてtに転訛するのがアイヌ語の常則だそうである。」東北と北海道のアイヌ語地名考 (三版)山田秀三(ひでぞう)楡書房1962年三版初版は1657年,値段200円である。〒マークが付いていて50円とあります。凄い価値ある本が,200円だと,写真入りだよ。シロクロの写真がページページに沢山ありますよ。
日本国記は高いか,1800円は。

以上,しつかり尻労語源から再現したものでした。

百田尚樹さま,津軽では自分のことは『わ』で,おまえのことは『な』,おまえ等のことは『など』こども達のことは『わらはんど』ですよ。
倭の奴の国の国王などなにか,解釈できませんか。
このブログをみたヒトで,百田尚樹さんを知って居られる方は連絡してほしいな,『わ』を使っているのは津軽ではありませんかと,他の地域もありそうですね。
縄文語だと思うから。

私がつくったCM動画です。



by snowmelt | 2023-02-09 12:10 | 考えることそれぞれ | Comments(0)


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