北のフィールドノート

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2018年 07月 25日

百田尚樹が書く期待の歴史本

百田尚樹が歴史本を執筆中だそうだ。
虎の門ニュースで 監修者が金谷俊一郎氏とある。
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これは期待の歴史本だと思う。
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むつ市ゆかりの人を一人挙げて語っていた。
聴いてみよう。

むつ市運動公園のテニスコートよこに細道があり60㍍ほどのところに、柴五郎が住んでいた場所小屋跡がある。
会津斗南となみ藩士たちは下北に流刑同然で追いやられたという、母、姉、祖母らは足手まといになってはいけないと会津で自害し、父と兄と五郎が、食うものもなし、犬の肉も戻して父に叱られ暮らしたという場所があそことは。後に陸軍に入り、シナでの義和団の乱のときのことを百田氏はここで語っている。
柴五郎をみて、英国は日本を見直し、日英同盟につながり、その日英同盟があったからこそ、日露戦争に日本が勝つことが出来た。日本がロシアの植民地にならずにすんだと考えてもいいだろうという論理だ。柴五郎の存在がロシアの植民地支配の手から逃れることが出来た要因になっているとの論理だ。

追記 2018.07.25 今朝、近いので、柴五郎住居跡がどうなっているか見てきた。
むつ市運動公園テニスコート東の横道からはいる。
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今でも林の中だ
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そこに立ててある説明
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しかし、この説明だけには、斗南となみ藩の怨念だけが頭にのこり、私自身、柴五郎陸軍大将といっても無知であったが、
虎の門ニュースの百田尚樹氏おはなしではじめて分かったことでした。それにしても居島一平おりしまいっぺいさんの博識すごいですね。
柴五郎というひとの歴史の中でどういう働きで日英同盟に結びつき、日本海海戦でバルチック艦隊の情報が英国からもたらされた事などから、ロシアの植民地にならず今日があるという意味などを考えることが出来、これこそ歴史に意味のある人物であったこと、
そのゆかりの地が、すぐそこのむつ市落野沢おとしのざわがあるとはと考えるとなかなかいいねと思うのです。

10月あたりの出版らしい。読んでみよう。

by snowmelt | 2018-07-25 00:07 | Comments(0)


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