北のフィールドノート

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2017年 10月 03日

サハリンSakhalinでドジョウすくい1

サハリンへ行かねばならぬと言うわけは
   
                      下北自然学巣 大八木 昭
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この図はエゾホトケドジョウのミトコン遺伝子の分岐年代別を色分けで示したもの。
オホーツク集団(赤丸)が飛び抜けて古い集団が隔離されている。

果たして、サハリンには赤丸集団がいるのだろうか、青丸的な集団がいるのだろうか、はたまた違うものなのか、それを知りたいとサハリンへ行くことになったのです。

サハリンは中ほどの北緯50度の東西線を境にソ連と日本の国境線があったのだ。

昔、樺太(サハリン)の南半分には日本人や樺太アイヌが住んでいたのだ。おばあちゃん家族は樺太引き揚げ者家族という人はここらでは割と普通だ。
むつ市の並川町というのも、トリヤマのおばさんが、そこに住み着いた引き揚げ者に、「そこはあんたらが住んでいた樺太の並川をそのまま名乗ったら」、と進言して並川町となったと本人から教えてもらった。
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(ロシア極東 秘境を歩く 相沢秀起著 北海道大学出版会 からの地図)

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サハリンはあそこなのだ。
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オーロラ航空、ボンバルディア機の細狭いこと
エンジンがちょうど邪魔でよくみえない
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利尻島と礼文島が見えた
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すぐにサハリンの西側の川が見える
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ユジノサハリンスク・豊原に到着した。

その後コルサコフ・大泊方面のホテルに向かう。
「この調査は、公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団の研究助成を頂きました。」

by snowmelt | 2017-10-03 21:22 | Comments(0)


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