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2013年 10月 28日

オオウバユリの種子

この前はオオウバユリの実をのせた。

実のなかの種子をのせてみます。
横から見ます。
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上から見ます
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裂け目から種子を見ます。
簡単に落ちこぼれないようにか、ひげ歯のようなストッパーがあります。
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中にはこんな風になっているのです。
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種子です。
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こんなに並んでいるのです。
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もひとつ方向を変えています。
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数えてみたらひと並びに96-98枚の種子が並んでいます。
6列あるので、この実の中にはきっと576-588枚の種子があるのでしょう。
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端のほうの種子は小さくて子孫は残せないでしょうが
少なく見積もっても550枚くらいの種子が飛んで行って、数株でも大きくなればいいのでしょうか。

実の皮の乾燥したものをぱーんとたたくと、バラバラバラーッと種子が飛び散るのであります。

by snowmelt | 2013-10-28 20:10 | 植物 | Comments(0)
2013年 10月 26日

海辺の山ブドウ

山ブドウが、海岸そばにありました。

なかなか、粒が大きい、こんなヤマブドウの大粒があったのですね。
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一粒食べてみました。

これは、なかなかうまい。 ヤマブドウは今まで酸っぱさが甘みより強く感じていましたが

いやいや、これでアウスレーゼワインができないのかなと思うくらいの甘いヤマブドウです。

ここは、獣のエサにもならんとこだろうし、どれと手の届くとこで採ってしまいました。

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甘いよ

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自然の恵み、略奪 いただき。

ヤマブドウの実はアイヌ語でハッというとコタン生物記・更科源蔵に書いてある。

『未熟の果汁に海水を混ぜ山椒の葉を入れたものを、マスの刺身を食べるときの調味料にしたり、またテンナンショウを食べて中毒したときの解毒にもつかった』とあるが、本当に解毒剤になるのだろうか、

上北郡横浜町では、昔フグにあたったら、首まで馬糞肥料のなかに埋めるといいと言い伝えられているよと聞かされたが、どちらも効き目があるのか不思議だ。眉唾なのか。

そうそう吹雪などで凍傷・凍死しそうな人は急に暖めるとだめで、それこそ馬糞肥料で発酵熱程の中に入れるというのも聞いたことがある。フグ毒の解毒はどういう訳だろうか。

by snowmelt | 2013-10-26 21:42 | 植物 | Comments(0)
2013年 10月 24日

青森・下北のアイヌ語地名 袰部の解読パズルから武器輸出・緩和

東通村の袰部はホロベとよぶ。
むつ市田名部はタナブと呼ぶ。

昭和31年の東北と北海道のアイヌ語地名考・山田秀三著では「ホロベツとかホロナイとかいう地名が方ぼうにある」ことをあげている。

ホロは『一応はポロベツ・大河、ポロナイ・大沢(川)の意味であるが行ってみると必ずしも大きいという感じがしない。poro・大きいはpon・小さいに対する語である。』

そして青森県下北郡の((ここでは))『母衣部((ルビはホロベ))は大川((ルビはポロベツ))の意らしい。』としている。

平成25年のいま、県道6号線を尻屋に向かって、南から行くと野牛沼・川の橋をすぎたら、橋らしいものは全く見当たらない。

道路の下をくぐっているだけなのだろう。戻って左折して袰部の集落に向かうとすぐ小さな橋があり、河道がある。

その川の上手にいくとその川は石灰岩の山の桑畑山から流れてくる「北ノ沢」という名が五万分図に書かれていることがわかる。上流は北ノ沢で、合流する沢もないのに途中から名前が袰部川になっている。
2011年3月21日には、この川には結構な水が流れていた。
その時に撮ったクロカワゴケの写真である。
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きれいな、川の水だと感じていた。

山田秀三は「東北と北海道のアイヌ語地名考」のときは袰部を訪れていないようだが、あとの何かの本には、袰部川は他の当地域の川に比べて大きいからホロベツがその語源なのだろうと書いていたのではないかと、確かではないが思っている。

そうなのです、野牛沼・川、以北では袰部川以外に橋の架かっている川はないのです。赤坂川などといっても一跳びで越えて行ける沢幅なのです。
だから、袰部の解読パズルは、山田説のホロベツからきている、で納得なのです。

でも、もしも山田秀三が、あるいはアイヌの人がこの川のありよう(袰部川の様子の写真)を見たなら、この袰部川をなんと呼んだでしょうか。というクイズ、パズルです。
次は2013年7月18日の袰部川の様子の写真です。
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河道全域が乾いています。
これをみたら、山田秀三なら、アイヌのひとならなら絶対にホロベツではなかったね、これなら札内か佐比内と呼びたくなるね。袰部は別の解釈をしなければならないと考えたでしょう。サツナイは「から沢」、サッピナイは 乾く・小石・川 の意でどちらにしようか迷いそうです。

次は2013年10月23日の袰部川川口の写真です。
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雨が続いたりで、河口は見えています。 ※写真が小さくてよくわからないときは、写真をクリックして、でてきた写真の右下のむしめがね+マークをクリックすると拡大されて見ることができます。



7月は上流の飲料生活用水取り入れ口までは水がありましたがそれより下流河道はサッピナイだったのです。

此処をホロベツと呼んだ時代は現在よりも、昭和30年代よりももっとホロベツらしい川だったと考えられます。それは何故かということを考えます。

袰部川の水源は桑畑山です。石灰岩の山です。
現在は日鉄鉱業や三菱マテリアルなどが桑畑山を切り崩しベルトコンベアーで積みだし港・アイヌ語でモシリ・島のところから、搬出船が出航して行きます。

桑畑山は今に山ではなくなるでしょう。下へ下へと石灰岩はあるということですからまだまだ掘るだけ掘るのでしょう。

桑畑山がなくなったら北ノ沢の水がなくなるのは当たり前でしょう。
袰部川は川ではなくなり、サツナイになるのでしょう。
袰部の集落がそういう時代まで人が住んでいるのかは疑問ですし、関係ないことかもしれませんが、固定資産税で地下水を供給してやればそれですむだろうと誰かは考えているのでしょう。

平安初期の蝦夷征討以来、先日は、ある経産省官僚が「被災地なんて、もともと滅んでいた東北のリアス式の過疎地なんだから復興など必要ない」「復興は不要だと正論を言わない政治家は死ねばいい」と書いたことでブログ炎上。「日記の様なつもりで軽い気持ちで書いてしまった」で表せるように、「もともと滅んでいた東北」・自分の先祖が滅ぼしたという血筋がある官僚がいることは充分ありうることだと思っています。


その地域がなくなろうが関係ない。「もともと滅んでいた東北」なのだから。
国の経済が第1で金になれば何でもよい、原発も最終処理できなくとも経済第1、武器輸出三原則の緩和も経済第1。

経済が第1で、桑畑山がなくなり、袰部を札内にかえてもかえなくても、どうだっていいでしょ、たんなる呼び方なんて、でしょうかね。あっ、判った。古袰部ですね。 これもどうでもいいこと。


つづく

※(10月14日 東北アイヌ語地名研究会・下北研修会巡検地での地域事項 をまとめています)


※補足・
下北半嶋史には桑畑山と石灰岩の採掘の事が書かれている。
『東通村岩屋の東に盤峙する長石蔵山海抜一三八一尺は岩屋、尻屋、尻労の三大字に跨る石灰岩の山である』

これをみると、いま桑畑山といっているのはなんだろう。長石蔵山なら断然和語だろう。桑畑という地名は下北の中にまだある。くわはたと呼び、クッハタと聞こえる。

山桑はわずかに麓にみられるがくわばたけではないので、これも蝦夷が言い伝えた言葉かもと考えている。



明治21年に北海道の生田弥助は借地して採掘したが、道路の近くを掘るために、人馬の往来に障碍をきたすと異議申し立てがあった。

大正11年頃青森市の本間権之助が採掘し、12年にしてやめた。

昭和13年扶桑工業会社が尻労から積出したが両三年にしてやめた。

昭和33年から日鉄鉱業会社が採掘を始め、『将来は年産百万屯を目標に事業を進めて居る』

by snowmelt | 2013-10-24 14:15 | アイヌ語地名 | Comments(0)
2013年 10月 24日

袰部河口から尻屋への海岸風景

このところ自分は、アイヌ語地名を考えつづけている。

「アイヌ語地名なんかこじつけよ」

「語呂合わせみたいなものでしょ、日本中あちこちそれで解けるね」

「下北には早い時代から、アイヌ人なんて、少ししかいなかったから、アイヌ語なんて残っていない」

などと、昔は云っていたようだ。


今でもきこえる声は

「地名なんか、どう呼ぼうが、どうでもいいことでしょ」ということだろう。

そうである。

「埼玉」を「さいたま」にしたら、

これは意味を抹殺することと嘆いた人もいたが、

ひらがなは誰でも読めるからよいとする人もいる。

そうである。人はそれぞれ、現代人は地名なんてどうでもいいのである。


私の場合、アイヌ語地名解読はパズル解きのひとつであり

自分はパズルを解いていく楽しさは、それをやっている人しか味わえないと思っているし、

他の人からみれば、それこそどうでもいいことさ、とみている。


私は自然が好きで知りたいので、『自然の中で暮らしていたアイヌは、(そうでないアイヌもいたろうが)、われわれよりよく自然を知っているはずだから、そのアイヌ語から、アイヌ語地名から学びたい』という思いがあるだけである。

地名を聞いただけでここは地盤が弱いぞと、解ろうが、解るまいがいまはどうでもいいことである。地震保険に入った方がいいか悪いかわからなくたって、それもどうでもいいこと。

ここからは波がひどくなるところだよと岬の名が知らせてくれても、船に乗らない人からみればどうでもいいこと。

私は、「そうなのかと納得したり、考えたり、パズル解きに山を登って地形を確かめたり、他人にとってはどうでもいいことではありますが、楽しんでやっているということであります。」

ちなみに「地名なんか、どう呼ぼうが、どうでもいいことでしょ」と云っているのは某アイヌ語地名研究会員の「おくさん」です。

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    ※写真が小さくてよくわからないときは、写真をクリックして、でてきた写真の右下のむしめがね+マークをクリックすると拡大されて見ることができます。

袰部の意味がわからなくても、岩屋はアイヌ語か日本語かとか考えなくても、尻屋が志利屋とかいたこともあったとか知らなくたってどうでもいいことではありますが、おもしろみを判る人だけがわかる、それだけのことであります。

次には、「袰部の解読パズルから武器輸出三原則・緩和」を記事にしたいと思います。

by snowmelt | 2013-10-24 00:11 | 風景 | Comments(0)
2013年 10月 20日

下北のアイヌ語地名 青森に シレトコ があったと 金田一京助 が云った

下北半島にシレトコがあったと金田一京助が云った。

函館博物館 山田秀三展示のコーナーである。

橋本玉蘭 陸奥出羽国郡行程全図 が示されていた。

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そこに脇野沢の海岸にカタカナで地名が記されていた。

クソウハマ、クソウ泊のつぎがシレトコ・シレトコサキである。

金田一京助が山田秀三に「青森にもシレトコがあるよと喋った」という話である。

右には当時(昭和2、30年代)の五万分図とともにシレトコは何処なのかの推定がかかれている。

東から西へいくと北海岬、貝崎と岬がふたつ記されている。

山田秀三は書物から考えた。

北奥路程記には九艘泊の出先山を北海山と云うて急立の高山なり、次はカヤノサキと云う岩磯有・・・・・

御国松前津軽船路図には北海岬らしき処をエホシサキ・次にカイノサキ。カイノサキが一番海に突出してかいてある・・・・

津軽海峡海路図寛政図にはひとつのみ描きカヤノと記す・・・・

水路誌、昭和24年版下北西南岬角として貝崎のみを記し、北海岬を記せず・・・

下北案内(郡役所資料)貝崎のみで北海岬なし



以上のことから結論を出している。


『貝崎がシレトコと見るべきか』と。

では何故、シレトコと呼んだり、カヤノ・カイノと呼んだりしたのだろう。

地名アイヌ語小辞典には
kayには折れる、折れくだけるという意
kayaには帆 kaya-niには帆柱という意
kay-kayはkayの集合形で、これには折れ波、くだけ波 白波などの意がある。

私は kaykay-not 折れ波・みさきの意がカヤノサキであると考えた。

    kay-not なら文法的にあわないとは思うが kaykay-not が短縮するかしないかはわからないが
もしも、私のかんがえで都合よくkay-not になればカイノサキとも表記されるとも考えたりしている。

どれか近そうな、イメージ的には意味がありそうな気はするが、全く想像するしかない。

村崎先生に聞いてみようと思う。


いずれにしても、カヤノサキ・カイノサキ・蚊屋ノ崎を音から 貝崎 にしたセンスはあまり感心できない。

ツマランというべきか。

北奥路程記にカヤノサキの海上状況がかかれている。

『カヤノサキ(蚊屋崎)と云ふ岩崎あり、此辺((中略))異形の岩色々あり、

総じて此辺、野辺地・田名部入海の鼻崎にして、是より外はいわゆる白神崎・龍飛崎・三汐など云ふ荒海へ向ふ所にて、東南北へと廻り出る海上なれば、風順むずかしく、海上安からぬ渡りなり』と

折れ波、白波のたつ岬の海域だったと思われる。

だから、具体的に折れ波の荒れるところであると カヤノサキ とつけたのであろうが、

陸伝いに歩いて行けばそこからはどうも行けない、sir-etok しレトク・みさきの意の シレトコサキ、かっこつければ「地の果て」であり、

海上状況でいけば、より具体的に、カヤノサキという名称がつけられ、時代とともに具体的なカヤノサキのほうが残ったのではないかと考える。

北海道のヒグマ・エゾシカ・シマフクロウ・海ワシ・サケ・カラフトマス・アザラシなどの野生の生き物が見られる世界自然遺産の「知床半島」にはスケール的にかなわんので、

下北半島に「知床崎」があったとしても、サルの脇野沢の『知床崎』と付けなくて正解でしたかね。


補足・以前、北海岬には九艘泊から、割合に簡単に登ることができました。今、考えると「これはシレトコではないな」と感じますね。

つづく   シレトコ その2はここ

※ (10月13日 東北アイヌ語地名研究会・下北研修会での発表内容 をまとめています)  

by snowmelt | 2013-10-20 22:26 | アイヌ語地名 | Comments(0)
2013年 10月 20日

青森・下北のアイヌ語地名 目名 と 小目名

東通村の目名は下北半嶋史・笹澤魯羊によれば『目名はメナにて枝川、又は枝川が大川に合流する地点の意』とある。

山田秀三(やまだひでぞう)は目名について、枝川という解釈に疑問をもった。タクシーで目名に行く途中に運転手に聞いた。

目名に泉はないか、と。ここにありますと教えてくれたのが、観音様の泉だった。

山田秀三は考えた。メナはmem・nay ではないかと。

観音様の泉から谷地となり、目名川へと流れ込んでいる。

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                                               (函館博物館・山田秀三展での手帳にかかれた観音様の水と目名川の位置)

泉・谷地の流れが・メムナイで目名部落の名となり、川全体の名前になったのて゜はないかと。

もちろん、山田秀三の解釈のほうが説得力がある。

平成八年のこの観音様の泉と目名川は次からの写真の様である。

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むつ市大畑町から薬研温泉へ向かう途中に、こんどは小目名という地名がある。

笹澤魯羊は『小目名(コン・メナ)は鮭鱒以外の川魚が産卵のため掘る堀のある枝川』と解説している。

これには、下北の生物を調査している私にとって全く納得できない解釈である。

小目名には、これまた泉があるのです。

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おいしい水だというので、沢山の人たちが、いまならペットボトルにその泉の水を汲みにくるのです。

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泉は谷地となり川へ流れていきます。その川は小目名川というのです。

この語源もメム・ナイでしょう。

村崎恭子先生は、「小・コ」は和語でしょう、と云った。

先日、東北アイヌ語研究会会員でもりおかアイヌ語地名研MOSHIRIの小林紘一さんは、『o とは考えられないですか』と云った。

そうである、小目名川は大川に合流するのである。

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                                             (泉谷地の小目名川の橋から下流をみると、その明るいところで大川と合流している)

小目名川は長い川である。その、あと三-四十メートルで合流するという、川尻 o のところに泉・谷地がながれこんでいるのである。

東通村の『小田野沢は今の人(昭和30年代)はオダノサワと発音するが、古い人はコダノサワと発音するし、

松浦武四郎や南部領郡仮名付帳では「コダノサワ」とふりがながふってある』そうである。

今の人はコメナというけれど、オメナと云ったものを漢字で小目名とかいて、いつのまにかコメナとなったと考えるのも可能ではないだろうか。

そして、オメナで「川尻に・泉谷地のある・川」と解釈できて、きわめて的確に表現しているのと思うのだ。

つづく

(10月13日 東北アイヌ語地名研究会・下北研修会での発表内容 をまとめています)

by snowmelt | 2013-10-20 15:10 | アイヌ語地名 | Comments(0)
2013年 10月 20日

青森・下北のアイヌ語地名 宇曽利山 という山もない

 宇曽利は us-or,ウそル(ウしよル)・湾である。入江である。

「宇曽利湖の北部で硫黄を採掘するため、湖水の流出口三途の川を四五尺切り下げた」(下北半嶋史・笹澤魯羊)とある。

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それ以前の水位は高くあり、従って、大尽山頂からみれば白い砂浜の極楽浜近辺はもっと奥へと湖水が入り込んでいたはずである。まさしくそこが宇曽利・us-or ・入江だと考えられる。

今でこそus-or,ウそルは湾・湾の内湾・入江と訳せるが。

私はこの言葉の由来はupsor にあるのではないかと考えている。

一番身近なのは「人体」であろう。尻はosorである。頭はpa,pakeなどいろいろある。膣内はupsor である。

人体名称になぞらえて、地形・地名もあらわすのがアイヌ語のひとつの特徴だと考える。

upsor はまさに、入江ではないかと考えているのである。

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北西岸の水は、考えるよりもっと北へと入り込んでいたのではないかと想像している。


us-or の近くであるので字宇曽利山という単なる字名をつくり、寺を建てたので

大字田名部字宇曽利山何のなにという地番ができたにすぎない。

このus-or・入江の近くにある山には地蔵山、鶏頭山という名の山はあるが「宇曽利山」という山名は付けられても居ない。
 


ここら一帯の国有林は

恐山国有林とも

宇曽利山国有林とも云われることはありもせずに、

「大尽山国有林」と呼ぶことからも、恐山という山も、宇曽利山という山もないということが示されている。

つづく
(10月13日 東北アイヌ語地名研究会・下北研修会での発表内容 をまとめています)

by snowmelt | 2013-10-20 11:09 | アイヌ語地名 | Comments(0)
2013年 10月 20日

青森・下北のアイヌ語地名 恐山 という山はない

「おそれざん」にいると、

観光客に聞かれることのひとつに「恐山はどの山ですか」という問いがある。

恐山という山はない。

ついでにいうと宇曽利山という山もないのである。

「恐」と「宇曽利」は全く別物のアイヌ語由来のことばなのだ。

「恐」は昔は「於曽礼」と書かれた。「宇曽利」は昔も今も「宇曽利」のままである。

 「於曽礼」は跡形のことである。
 「宇曽利」は入江のことである。

これは大尽山頂からみればわかる。宇曽利湖のかたちを見ればよくわかる。

大尽山から北の方角を見てみよう。

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もうちょっと右を見て

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そこには尻餅の跡があり、そこに水が溜まっているのが。

アイヌはそれを見てなんと云ったか。

『osor-kot オそルコツ(オしヨルコツ) osor は「尻」kot は「くぼみ」尻餅をついた跡のくぼみの意。各地にOsorkochi[オそルコチ,オしヨルコチ]という地名があり』地名アイヌ語小辞典(知里)とある。

osor-kot あるいはosor-kochi が「於曽礼」になったと判断する。

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湖の跡形が「於曽礼」なのである。「於曽礼」のある、海や村に対しての山が「於曽礼」やまと言い伝えられたのだと。

現代の人はオソレザンというが、昔はオソレヤマと云った。あるいは単に、おやまと云った。


「恐山」という字面は観光・信仰ビジネスには都合がいいものである。

ただし、晴れわたった山から眺めて地名につく恐ろしい処などどこにあるというのか。

闇の暗さが恐ろしいというのであれば、その地がどこか明確ではなく、地名としては意味をなさない。


青森には八甲田山という山がないように、恐山という山もないのである。

もともとは、オソレのある山手であったのである。

だから、昭和あたりの五万分図には「大盡山」の腹あたりに「恐山(宇曽利山)」と印字としていたりしていたが、

平成の五万分図では、湖の左あたりに「恐山」としか書かなくなったのである。


つづく

(10月13日 東北アイヌ語地名研究会・下北研修会での発表内容 をまとめています)

by snowmelt | 2013-10-20 10:57 | アイヌ語地名 | Comments(0)
2013年 10月 18日

ムツヒダリマキマイマイなんだけど

ムツヒダリマキマイマイが木について寝ていました。

その木で「起こして」やったら上へとのぼりはじめました。

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どうもこのムツヒダリマキマイマイは少しばかり今まで見ていたのとは形が違う感じがしています。

こんなに殻高比が高いのは見ていないなと。ムツヒダリマキマイマイはかなり混乱させるものであります。

by snowmelt | 2013-10-18 22:38 | 陸産淡水産貝類 | Comments(0)
2013年 10月 18日

コナラのどんぐり

ここらの山はミズナラが圧倒的に多いと思っていたが、

コナラのどんぐりが落ちていました。

綺麗だなと感じました。

「木の実・草の実」ニューサイエンスブックの三好保徳著者も、ナントカ「山で美しいコナラのドングリに出会った。その形、色、大きさ皆私の気に入った。」などと書いています。

やはり、美を感じるどんぐりではないでしょうか。

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by snowmelt | 2013-10-18 22:29 | 植物 | Comments(0)