北のフィールドノート

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2010年 01月 31日

オナガガモ

どこかで餌付けされてきたのだろう。足下まで寄ってくるのがいた。
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模様をもっとはっきり見てみましょう
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by snowmelt | 2010-01-31 16:31 | 鳥類 | Comments(0)
2010年 01月 31日

ヤマドリの足跡と つもる雪

久しぶりに太陽がでた。
ヤマドリのあしあとだ。
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次のはちょっと見にはなんだろうと思う光景だった。
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マンタの口が たくさんだー

切り株に雪がつもっただけのこと。

by snowmelt | 2010-01-31 16:19 | 風景 | Comments(0)
2010年 01月 31日

川中に積もる雪

今年は雪が多い。24年ぶりだという。
川の中の石の上にこんなに積もった。
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by snowmelt | 2010-01-31 16:08 | 風景 | Comments(2)
2010年 01月 21日

縫道石山(ヌイトいしやま) 再

オオウラヒダイワタケみたいな北米の山脈やシベリアあたりの地衣がはえるくらいの山ならば、
イワタケ以外の、そのような環境の生物がいないものだろうか。
「失われた世界」の寒地版はないだろうか。イメージしにくいか。
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by snowmelt | 2010-01-21 10:57 | Comments(0)
2010年 01月 12日

アイヌ語地名考恐山と宇曽利湖 

日本地名研究所通信 第71号 2010年1月1日発行(谷川健一所長 神奈川県川崎市高津区)が届きました。

実は、東北アイヌ語地名研究会(太宰幸子会長 宮城県大崎市鹿島台)というのがあって、
2009年11月30日に青森県八戸市で研究大会が行われ、そのときに研究発表として私が話しましたことを、
1600字にして送れとのことで、送った原稿が上記の通信のなかに印刷されたのです。

「古来からの地名が、行政によって改ざんされることに怒りを覚える谷川健一が」と岩波新書 日本の地名(谷川健一)の書評にあるのをみておうと感じました。

ところで、題、名前もいれて 原稿用紙4枚 1600字以内にして送ったのに日本地名研究所通信 第71号にはやや制限変更されて載せられたのでここに送付原稿を載せておきたいと思います。
例によって、
持論「宇曽利山湖」はよろしくない「宇曽利湖」にせよと言うことと、恐山はアイヌ語由来だという文です。
こういうことはいつも発信していないとならないと思っていますので載せておきます。
    
恐山と宇曽利湖の地名考

東北アイヌ語地名研究会  大八木 昭

 青森県の恐山地域には、恐山という山がないにもかかわらず、一帯を恐山と呼び、宇曽

利山という山がないにもかかわらず、宇曽利山湖と国土地理院の地形図にしるされてい

る。双方とも盛り上がった単独の山はないのだから「恐」も「宇曽利」も一つの山を表現

したものではないと考えるのが妥当である。

 和語で解釈したものは「奥州南部宇曽利山釜臥山菩提寺地蔵士略縁起」中にある。慈覚

大師が釜臥山で修行中に「或る日鵜鳥の両翅を翻て北方の山上に到る」「このとき鵜鳥が

翦るのを見て当地のあるのを知ったところから鵜翦山の名が生まれた」との「うそれやま」

がいつしか「宇曽利山」に転訛したと解釈してある。これは、鵜翦山も宇曽利山も過去に

も現在にも存在しない山なのであるから、単なる宗教上の逸話と考える。しかも、宇曽利

という地名は平安期からある地名で、現在は宇曽利川と呼ばれている地区が海岸の砂嘴で

ある芦崎の根もとにある。

 宇曽利をアイヌ語で解釈したものは「下北半嶋史」にあり「宇曽利は蝦夷語にして湾、

入江などを意味する。」とある。著者の笹澤魯羊も言うように、宇曽利はまさしく湾、入

江という意味であり、北海道に存在するウショロもオショロもウスケシも同一意義のもの

である。

 かつて、山田秀三は恐山地域を調査した。手帳に描き入れられた地図には「宇曽利湖」

と手書きしているが、それはアイヌ語のウソリ(湾、入江)を探す調査であったからだと

推測する。しかし、結局その段階では山田秀三は結論を出せずに終わっている。だが、そ

れは過去の湖の水位を考慮すると浮かび上がって見えるのである。現在の湖の全体像はハ

ート形に見えるが、創生期には湖の滞水面は現在の倍以上もあった。それが次第に縮小し

たのだから、地形から推定すると過去のある時期には滞水面は牛の蹄形になるのである。

明治時代にさえ硫黄採掘のため「三途の川水落口を四五尺も切り下げたので、湖水面の水

位低下して」とあるので、蹄の先に当たる部分つまり北岸は入江地形に湖水が入り込んだ

ものが二つあったと考えられる。特に西北岸の入江地形の極楽浜には現在でもまだ三日月

湖のように水が残っている。ここをアイヌ語でウソリと呼んだと確信するのである。だか

ら、入江のある湖である故に、地元の人は九割以上はその意味で伝承された宇曽利湖(う

そりこ)と呼んでいるのである。国土地理院の地図に表記した「宇曽利山湖」とは呼ばな

いのである。地図は現地現称に反している。

 恐山の和語での解釈は下北半島史に「宇曽利は後に於曽礼と訛り、而も山容の怪異な処

から略して恐山と書くに至った」とある。

 アイヌ語での解釈は書き伝えられたものはない。そこで私はアイヌ語での解釈を試みる。

アイヌ語地名は地形を表すことが多い。湖に近い外輪山で一番眺めの良い大尽山(おおづ

くしやま)の頂から湖を見れば、それはハート形の水たまりに見える。しかし昔の人が見

たとき、それはアイヌの始祖の巨大な神様が「尻餅をついた跡」の水たまりと見たに違い

ないと考えるのである。尻餅跡はアイヌ語でなんというか。それはオソルコッ、オソル

(尻)コッ(くぼみ)と呼び、オソルコッは北海道にも、近いところでは登別にある。

 恐山は今でこそ、おそれざんだが、かつてはおそれやまである。オソルコッのある山一

帯を於曽礼山と書いていたが、精神世界あるいは売名的には、魂の集まるところは怖いほ

うが受けがいいということから、「恐」の文字で表す様になり、恐山(おそれざん)が定

着したものと解釈する。普通の人が昼間に眺める恐山一帯は怖いことなどあり得ない。

恐山とは尻餅跡の水たまりを含む周り一帯のアイヌ語由来の呼び方だと主張したい。

by snowmelt | 2010-01-12 12:10 | アイヌ語地名 | Comments(4)