2006年 03月 13日

フクジュソウ その2 イトウとチライとオビラメと

イトウが来たことを知らせる花ということで
フクジュソウの花をチライ・アパッポ(イトウの花)といい、
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フクジュソウの実はその形からチライ・ウレップ(イトウの苺)といい、
葉茎をチライ・キナ(イトウ草)というそうだ。(コタン生物記/更科源蔵著)
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イトウは春に川を遡上して来るのだ。いや、来たのだ。
釧路川(くしろがわ)は屈斜路湖(くっしゃろこ)から流れ出し
釧路湿原を蛇行して太平洋に流れ出していた。
昭和の三十年代に、釧路川の支流にはイトウが群れで入り込む沼があった。
子供の頃その沼の近くに住んでいた。
兄達が大きなヤスでイトウを追っていた。
足手まといだと、私はその仲間には入れてもらえなかった。
本流から沼に入るまでのやや狭い流れがイトウ達をヤスでねらえる唯一のチャンスらしかった。ヨシの生える沼に入り込まれればもうダメだ。
我々にはリール竿のなかった頃なのでヨシの生える広い沼で釣ることは全く考えられなかったのだろう。

後年、私はその沼で産卵床を掘っている大きなイトウを見た。
只々みとれていた。沼でだよ。湧き水はあっても酸素は少ないと思うのに、なぜ沼で産卵しようとしたのか今でも不思議だ。
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そしてもう一方、さらに本流を遡るイトウ達があった。
このイトウ達の雄の婚姻色は赤く、川で彼らを捜すときその赤みを探せ、水の中で赤っぽく泳ぐものを捜せと云われた。こっちの方がずっと大きいと思われた。
オビラメだと云われた。このときイトウとはオビラメと云うと思ってしまった。
なぜならば、実はチライという言葉は我々の中では一度も使われたことがなかったから、知らなかったのだ。
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今、『コタン生物記』を見るとイトウは全道的にチライというと書いてあるが、
本当にオビラメとチライは同じイトウなのか疑問になる。
『コタン生物記』では、屈斜路のコタンの人たちは、
オビラメは湖に常駐し、産卵期にだけ湖から川を下り産卵する習性があり、いつでも赤い肉で脂肪が多くうまいというし、オビラメの頭頂は平ら(イトウのは三角形にとがる)という。
『産卵期でも産卵後でもチライとオビラメとは絶対にちがう』とアイヌの人は云うらしい。

実際に捕ったイトウは白身で小骨が多く、私はうまいとは思わなかった。
オビラメは『屈斜路の他には、阿寒湖とチミケップ湖にしかいない。名寄では名だけ知っている』という様なものである。
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アイヌの人達もサケ漁が終わり、
魚が捕れない冬があけて真っ先に川をのぼってくる大きな魚なので、おいしくなくても大事な獲物というイトウ(チライ)の来たことを知らせるチライ・アパッポの咲くのを待ち望んだのだろう。

現在------------------------
尻別あたりに『オビラメの会』というのがあるようで、DNAが違うというが、それらのイトウは赤身のイトウなのだろうか。

昔は青森県の小川原湖で漁もしたという。下北半島の大畑川(おおはたがわ)には1992年に捕れていて、これが最後という。

青森県鰺ヶ沢町では『イトウの養殖が行われている。』1996年にサハリンから移入ふ化させたとある。WEBには川のトロなどと書いてあるし、写真も赤身なのでチライではないのだろう。
生粋の北海道のイトウではなかった。なんだというか肩すかしというか。

道東、道北の自然の湿原の主・野生のイトウたちよ。湖の主・オビラメよ。(オビラメはもういないのだろうか)
格好だけの、遊びだけの釣り針には絶対ひっかかるなよ。
生きのびろイトウ。

by snowmelt | 2006-03-13 22:28 | 淡水魚類 | Comments(2)
Commented by ぽんぽこ at 2006-03-15 18:12 x
こんにちは まだそちらは雪景色なのですね。
イトウは春をまつひとの、心待ちの獲物だったんですね。花が知らせるとは素敵です。さて、今頃、イトウは、川をのぼる準備をしているのでしょうか。この冬、オッコロにたちよったのですが、いい川でした。
「コタン生物記」なんて本があるんですね。面白そう。

Commented by snowmelt at 2006-03-16 00:46 x
著者の更科源蔵は、(呼び捨ての意味ではありませんが)弟子屈町出身の詩人作家なのですよ。私は更科さんには会ったことはないのですが、私の恩師・弟子屈町の永田洋平さんからは更科さんのことを聞かされていました。更科さんは永田さんの兄貴分だということでした。恩師が胸を患って入った療養所の別棟に更科源蔵さんがいて、同郷の兄貴分をたずねてある相談をするのです。そのときの更科さんが永田さんに言った言葉があるのですが、それが今の私の自然と対峙する時の心のあり方にもなっているのです。永田さんは更科さんの言うことをきいたのです。私もその話を聞かされて、言うことをきいているのです。だから更科さんも一部私の恩師かなとかってに思っています。永田さんは私の母と生れ年が同じで生きていれば米寿です。タイムマシンでそのころやそれ以前の道東の自然にはいりアイヌの人達から話しを聞きたいなと思いますヨ。


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