2017年 09月 09日
青森県のエゾホトケの分布は移植によるものか、事実確認のない論文を検証する。 下北自然学巣 大八木 昭 (((追記・唐突ですが反省と懺悔と感謝、論文中に、あんたはエゾホトケの「自然分布を示唆しているが」まちがいだ。下北半島は海に沈んでいるのだから現在の陸水の生き物は人の手による移入だ、ときめつけられて、なにコレと思ったことが、反論も出来ない私に、いい意味でエネルギーを与えてくれた奮発させてくれたと、今は感謝しているのです。 ノーベル賞受賞の本庶佑氏の記者会見でネイチャー論文の9割はウソ(無視されて消滅していく)という言葉から、黙っていれば、いずれ消えていくものだろうがでも、でも、考えて見れば、ネイチャーでさえ9割はウソとなるのが常なのだから、間違いを犯すのが常のこと。 「他人も自分も言ってることは間違いだった」との認識に立てば、この検証も間違いとなることになる。 著者らが、「私に名指しでまちがいだ」と言ったことにナニコレとの感情を抱いたことを、私も著者達にしているのではないかと反省し懺悔している訳です。いずれ消えていくものでしょうから著者名を削除することにしました。もしまた電話などあったら、水に流して付き合えたらなと思います。 「科学」の定義 カール・ホッパーによる。科学理論は客観的データによって反証できなければならない。武田邦彦解説、科学は反証する人は味方である。真理を知りたいのが目的だから。 ただ、現在(2018年12月)も国立環境研究所・生物侵入データベースで「在来の生態系を破壊する不埒な生きもの」という扱いが変わるまでは、この根拠となった論文だとして知って欲しいし検証しておくべきと、この記事をのこしておく訳です。))) 当該論文はこれである。 日本生物地理学会報第48巻第1号1993年7月31日 青森県におけるエゾホトケの分布および二,三の生態学的知見 Bull.Biogeogr.Soc.Japan48(1):73-80.July 31,1993 Distribution and a Few Ecological Aspects of Lefua costata nikkonis (Cobitididae)in Aomori Prefecture,Japan 73ページのみを示す。まずAbstractを示す。 読みやすいように、分布に関しての部分を拡大し下線を引いたものを示す。 下線部で 『一町田のエゾホトケ個体群は北海道岩見沢からの移植であると決定した。目名の個体群については不明である。しかしながら地史的なあるいは生物地理的な事実から判断すれば目名の個体群もまた同様に北海道からの移植であるように思われる。』と書いてある。 Abstract しか読まない人にしてみれば 青森県の岩木町一町田のポピュレーションは北海道岩見沢からの移植と決定し、東通村目名のポピュレーションも同様に北海道からの移植と思われる。 だから、『本州におけるエゾホトケは移植によるもの』という意見がほとんどになってきて、『自然分布か人為分布かはっきりしていない』という意見や記述はなくなってきているのが現状である。 ここで、和文ではどのように書いてあるのか、なぜ『岩見沢からの移植と決定した』のか、和文を読んだなら何を根拠としているのか聞き取り調査というものが本当に存在したのか、証拠を確認したのか、なぜ林崎や藤崎町のエゾホトケを除外しているのか等を検証してみることが必要ではないかと感じるわけである。 (基本知識として、) 地名の読み方について、一町田はいっちょうだ、賀田はよしだと読む 単にドジョウとあれば食用のドジョウである。エゾホトケは鼻孔にフタがないので、泥に潜って暮らすことは絶対になく、生態も形態も全くドジョウとは異なるものである。体長は2センチから5,6センチと小さい。採ってきてから4年間飼育して7.6センチとなった経験はある。野外での最大のはオス8.0センチとメス10.5センチとであった。非食用である。ドジョウ業者はドジョウの中に混じっていれば選別して捨てるらしい。 分布に関するところを抜き出してみます。 76ページのところです。 著者らの文を番号付けしてみる。 ①『一町田では1973年頃に藤崎の仲買業者が北海道の岩見沢あたりから大量のドジョウを仕入れ水田に蓄養したという事実を確認できた。』 ②『その後出水によって殆どのドジョウが水路に逸出してしまい、蓄養池そのものが放棄されたようである。』 ③『これらのドジョウの中にエゾホトケが混じっていた可能性が極めて大きい。』 ※Abstructの中ではThe population of L.c..nikkonis in Ichoda was determined to be transplanted from Iwamizawa, Hokkaido in the early 1970's.としている。『岩見沢あたりから』ではなく『岩見沢から』である。ドジョウに混入のニュアンスもない。英語しか読まない人には正しい情報は得られない。 ④『一町田でのエゾホトケの分布はかつてその蓄養池のあった場所より東側(下流側)である。』 さてそれぞれについて検証していこう。 ①で断定しているところは『事実を確認できた』というにも関わらず、聞き取り調査なのに誰に聞いたといっていない。これでは、事実を確認できたと言うものではない。 では、他の部分も含めてだれから聞いたか想像するしかない。 藤崎の仲買業者から聞いたとは書いていないがそれらしく臭わせていることはある。 ただ『一町田では』--これを一町田の地区での聞き取りではと読ませれば、藤崎の仲買業者以外の誰かそこら辺にいた人となるだろう。もしも仲買業者から聞いたのならば、コメントはほとんどあいまいであり竹内基も含め憶測だけでの聞き取り調査の価値は皆無である。 後段に、『またドジョウ採集者によると』とあるので、この『ドジョウ採集者』から聞いたのかともとれる。 もうひとつ『一町田では』--これを一町田地区の歴史ではと読ませれば藤崎の仲買業者以外の誰か一町田の歴史を知る人となるであろう。 ②は誰の推測だろう。いずれにせよ憶測だ。 ③これは著者らの推測だろう。つまり推測だ。これについては自由な推測で良い。 ①と②での単語の違いについて①『水田に蓄養が事実』が②『蓄養池』にしたのは意図が感じられ、単に言い換えただけとは思えない。 ①②③についての結論 ②と③は憶測と推測である。③については文句はない、よしとする推測である。 しかし憶測と推測と①だけで誰から聞き取りしたかを書かずに『事実を確認できた』とよく言えるものだ。事実は皆無ではないか。ファクトがないというものだ。 ①の水田を②で蓄養池と呼びかえて④の蓄養池に誘導しているように感じる。 さて④について ファクトがないはずなのに断定している部分は、意外なことに④『一町田でのエゾホトケの分布はかつてその蓄養池のあった場所より東側(下流側)である。』と言い切っている点だけである。 なぜ、蓄養池のあった場所が断定できるのか。そこは聞き取りしたとは書いていない。 (出水したからとはいえ蓄養池から、池から水路を経てほとんどのドジョウが逸出するということは考えられるのかの疑問は出てくるがそれは置いておいて。) この論文の致命的な点は事実確認がないことである。証拠を示すことなく判定ができるのか。勿論、ないことを証明せよという『悪魔の証明』ならできない。 しかし、この場合は、蓄養池は西側にあったというのだけで、その位置はこことでも示さずに、つまり事実確認(聞き取りならば、情報を提供した人が誰で、作り事で言ったのか、何を根拠にして言ったのかさえわからないまま)がないことを『事実を確認した』という竹内基を誰かが信じるといっても、常識人なら信じない。 さて、1973年編集1975年修正の5万分の一地形図がありました。 図で示します。 水路の線は7時か8時の方向から流れはじめ、ほとんど1時の方向へと流れていきます。 一町田の水路の上流部には蓄養池といわれるような池はありません。 もう一度いいます。著者らの断定文④はまずひとつ『蓄養池』はウソであると判定します。 百歩譲って『水田に蓄養』します。しかし、せっかく、北海道の岩見沢あたりから買い入れた大量のドジョウを泥田の中に分散させて、一年か二年おいてから、それをまた捕獲するような田んぼはあるのですか。地図をみれば水田の記号だけでしょう。稲作をやりながら、刈り取り後も水をいれたままの大量のドジョウ蓄養は常識外で考えられない。 西側(上流側)に蓄養池あるいは蓄養水田があるというのは全く考えられない。著者らは『蓄養していた水田は出水によってほとんどのドジョウが水路に逸出してしまい・・・ようである。』とは書いているのですがこれも推論。 従って④の断定文も、根拠もファクトもないものであると結論します。 ①②③④でどこにファクトがありますか。ないのです。すべて『らしい』という推測にしかならないのです。 これをもとに学者達は本州のエゾホトケは人為分布によると結論づけているのです。国立環境研究所・生物侵入データベースを見て下さい。青森県は真っ赤で『移入分布』だと決めているのです。『在来かどうか不明』でもないのです。 一町田の地図を見てみなさい。一町田に実際行ってみなさい。 現在ウェブにでている地図ですが見てみましょう。 細い青い線が水路です。直線的なのは水田等で人工的に掘ったり、つくったりした水路だからです。もと池があったなら、そこは直線的にはならないのです。つまりもと池があって流入流出線が乱れているところが見当たりません。つまり池などなかったと言うことです。前出の地図と比べると、黄色いカーブのない新道ができたことがわかります。 1975年頃の一町田のまわりは一町田から新町、深山の三角並び部分が増えたようでそこ以外の田んぼはたいして変わっていないようです。 1999年7月22日に当時弘前大学教授の奈良典明先生と、元弘前市水族館職員との3人で一町田でエゾホトケを探しに行きました。その時は5万分の1地図も持って行かなかったので正確な位置はわかりません。水田の縁の水路で採集できました。 1999年当時はこんなに家並みはなかったと思います。ただ、元弘前市水族館職員の案内で行ったのですが、『ああ、一町田の芹田(セリの田んぼ)だろ』と連れて行ってもらったのです。しかし、セリの田んぼではありませんでした。でも7月22日なのに水稲水田ではなかったと思います。コンクリート枠の入っていない、浅い素掘りの自然水路でのみ採集できたので、何が栽培されていたか意識できなかったのです。 それ以後、2015年までに7回前後、一町田周辺を今度は一人で、歩き回りましたが全く採集はできませんでした。 それで、分かったことは一町田地区の西側の二本木(にほんぎ)では最近まで芹田と言われるところがあったようです。以前は実際に湧き水が流れ出していてセリが植わっていました。下北ではエゾホトケはこういうところ(私には冷たい水の感じ)に良くいるのだがと思い網を入れて探しましたが採れませんでした。さらに2015年には二本木の南脇の水路の様式が変わってしまい、湧き水を利用している風は見られず、セリも植わっては居ませんでした。二本木で会った農具をいじっていた人にエゾホトケの事を聞いても、そんなのは知らないな、素掘り水路はほとんどないが、そういう魚がいそうな水路を教えるから行って見ろと言われて、さらに、『待ってろ案内するから』と連れて行ってくれました。しかしそこで網を入れても採れませんでした。 二本木のその人に、万が一そんなのが『3-6㎝でヒゲが8本あって、尾鰭のところにくさび型で黒いのが入るか、体に沿って真ん中に一本黒い線があって尾鰭のところでくさび型が入るかだからと写真を見せて説明したら』よく聞いてくれて、その人は『見つけたら電話するよ』と言ってくれたので電話番号を教えてきましたがその後全く連絡はありませんでした。 さて、時系列で考えると論理があやしいということがでてきます。 ただし地理と時間がわからないと気がつかずに欺されます。 著者らの上の論文の部分のところをまとめてみましょう。 著者らが述べていることを箇条書きにしましょう。 Ⅰ、1973年頃、一町田の西側(上流側)で岩見沢から大量のドジョウの蓄養が行われた。 Ⅱ、1978年頃からエゾホトケが多く採れるようになったらしい。 Ⅲ、1981年に一町田で50匹くらい採れたのはエゾホトケが増え始めた時期と一致する。 Ⅳ、また県内で採集されたり、北海道などで買い付けられたドジョウの一部がこの仲買業者の所に集められ、出荷に際して選別が行われ、エゾホトケは近くの用水路に流されているという。 Ⅴ、松宮(1974)が採集した場所はその用水路の下流なのでこれらのエゾホトケの生き残りが少数繁殖したものと思われる。 Ⅵ、以上のことなどから一町田のエゾホトケについては移殖によるものと判断してよいだろう。 Ⅰ~Ⅵまでを時系列に並べるとどうなりますか。 そうです次の順番です。 Ⅳ、また県内で採集されたり、北海道などで買い付けられたドジョウの一部がこの仲買業者の所に集められ、出荷に際して選別が行われ、エゾホトケは近くの用水路に流されているという。 Ⅴ、松宮(1974)が採集した場所はその用水路の下流なのでこれらのエゾホトケの生き残りが少数繁殖したものと思われる。 Ⅰ、1973年頃、一町田の西側(上流側)で岩見沢から大量のドジョウの蓄養が行われた。 Ⅱ、1978年頃からエゾホトケが多く採れるようになったらしい。 Ⅵ、以上のことなどから一町田のエゾホトケについては移殖によるものと判断してよいだろう。 Ⅵの結論でなぜ、Ⅴで松宮(1974)のものを、これらのエゾホトケの生き残りが少数繁殖したもの思われるとしながら、移殖によるものと判断しないのでしょう。 Ⅳの時期はいつでしょう。1974年以前でないと行けませんね。厳密に言えば1973年7月に林崎の水田の水路と藤崎新町の用水路でエゾホトケを採っているのですからそれ以前、1973年以前に県内からだけでも、県内と北海道から、あるいは県内だけからでも移入しなければならないのでしょう。 林崎と藤崎でとれたエゾホトケの起原を明らかにせず に1981年一町田でとれたエゾホトケは北海道からの移殖とだけいうのははなはだおかしい。 次に松宮(1974)林崎と藤崎の何処で採られたのかなど採った本人からなどの情報を見せましょう。 まず一町田と林崎、藤崎の位置関係から そして林崎で成田悟、成田徹両君が林崎で採ったところを赤丸で示します。松宮君のはまだ藤崎新町としか確認できません。当時は、特段の目的がなければ自然分布であろうと中村先生が言ったとは書いています。 (林崎の赤丸は直接成田徹様に打っていただきました。ありがとうございます。)追記2018年1月16日成田徹さんから連絡がありました。松宮君が採ったところは成田君達が採ったところと同じだそうです。つまり地図の赤丸のところだそうです。 著者らは次の推論に反論できるか。『県内で採集されたり』集められたその中にエゾホトケが入っていて用水路に流されたものが林崎の水田水路と藤崎の用水路で採られたという推測も成り立つのではないですか。これに反論できる者がいますか。 著者らはファクトがないと言われてもしかたがないが、林崎と藤崎のものについては県内起原・北海道起原どちらも推測できるというべきでしょう。 Ⅴでなぜこの行にこのことをもってきたかと言えば、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳと来てⅤとくれば、ふつうの人は、1973年頃一町田に入れた、逃げた、増えた。県内や北海道から藤崎の業者に集めた。用水路に流した。それを松宮が採ったと勘違いするでしょう。 しかし1973年7月に林崎と藤崎で採れているということに気づけば、県内から集められたドジョウの中にエゾホトケが混じっていたかもしれないでしょう。あるいは一町田で獲ったドジョウのに、それこそ北海道からの移入のエゾホトケが入っていたかもしれない。また県内在来であったエゾホトケかもしれない。断定はできないのです。 しかし、著者らは『松宮(1974)が採集した場所はその用水路の下流なのでこれらのエゾホトケの生き残りが少数繁殖したものと思われる。』とだけいっているのです。『これらのエゾホトケ』とはドレラ。? 1974年にはすでに下北半島田名部大曲地区でエゾホトケを確認しています。ドジョウを獲る金網ドウも仕掛けられているのを確認しています。もしも下北半島産のドジョウが藤崎の仲買業者のもとにあつめられ、そのドジョウの中にエゾホトケが入っていたという可能性は否定できないでしょう。考えてもみなさい、ドジョウを集めるのに県内を飛びこえて、わざわざ北海道にまで買い付けるという考えはまともでしょうか。まともでなくてもいいのですけれどね。 著者らが、なんのファクトもなく『一町田のエゾホトケは岩見沢からのもの』とだけいい、林崎、藤崎のものには言及したくないのがみえますが、ただ、著者らのファクトのないこの論文があるために青森県のエゾホトケは『人為移入だと決めつけられて』居るのです。 もう一度いいますが、これをもとに学者達は本州のエゾホトケは人為分布によると結論づけているのです。国立環境研究所・生物侵入データベースを見て下さい。青森県は真っ赤で『移入分布』だと決めているのです。『在来かどうか不明』でもないのです。 追記2018年1月16日、移入分布(国内移入種でも)という種の扱いはどうなっているかといえば、在来の生態系を破壊する不埒な生きもの」という扱いなのですよ。つまり悪者扱いなのですよ。北海道の毎日新聞のコラムにはそのことが書いてありました。 2014年、下北半島東通村のおじいさんからドジョウのとりかたを伝授されたという若者(30代ぐらい)に出会ったとき、若者は『これ(エゾホトケ)は絶滅危惧種だから獲るな』『そこに仕掛けをかけるな』と忠告されたとき、嬉しいと思ったね。ドジョウは獲るけれど、エゾホトケは獲らないということをも、おじいさん(他人)から伝授されていたのですから。 ちなみに青森県のRDB(レッドデータブック)には、移入種だからという判断で掲載されていないんだよ、青森県では絶滅危惧種ではないんだよ。私は自然分布だろうと思ってそれを調べているんだよと教えると、先ほどの忠告にもかかわらず、そこらに仕掛けをかけるといいよと許してくれました。 次の日、仕掛けを回収にいくと、私がかけた仕掛けにはエゾホトケは入っていませんでした。 ところが私の水の中の仕掛けに、不思議に穴の空いたペットボトルがくくりつけられていました。中にはなんと生きたエゾホトケが入っていました。共同研究者とともに、『あれあれ、昨日出会った若者が、エゾホトケを確保していてくれたんだ』と感激したことがありました。研究は現在進行中。しかし一応ICREに受理されました。それはこの後。
by snowmelt
| 2017-09-09 21:49
| 淡水魚類
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