北のフィールドノート

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2016年 08月 04日

ウソは嫌だね 追加 下北ジオパーク ガイドブック

ウソは嫌だね      下北自然学巣 大八木 昭 
下北ジオパーク構想ガイドブックが10000冊印刷された。(2016年4月8日東奥日報)

いまそれらはどうなっているのだろう。90ページの冊子が10000部ならどれほどのものなのか。

しかし、それについての評価や意見は全くみられない。

アサヒカメラの写真日記のウソ写真記事は、観光事業の妨害ともとれると抗議したが、どうにもならず。
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ところが、むつ市の下北ジオパーク構想ガイドブックをみれば、全く椎名誠だけをウソつき呼ばわりできないかなしさ、ここにも同じ手のウソがあったりする。その一部。

追記4
なんで、こんなところに追記4がくるの

それは、私が突然死んだら悔いを残すことになるからなーと考えたからのこと。

下北ジオパーク推進ガイドブックの75ページ、恐山にみる下北のアイヌ語地名 (文責・平田和彦-追記2017年6月まで K.Hとイニシャルにしていたが、私の直接の指摘にも関わらず、どこからの引用かとの問いにもいいかげんなURLを示すし、何よりも私は間違っていない、なんであっても文責はわたし平田和彦にあるといっていたし、とうとう何の反省や訂正やお詫びもないままに、なんと千葉県立博物館の学芸員におさまり、先年は他部署であったAさんに、迷惑をかけ、今年、新たにジオ係員着任したAさんに対しても何のあやまりもないまま、あとよろしくとか、頑張ってねとだけ言ったと云うことをきき、文責は私にあると豪語したオヌシから訂正等誤りがあるまでは実名を記すことにしました。)についてだ。

ことのおこりは、ある高校のM.O先生からの電話で「恐山の生態系について」むつ市の係から頼まれたんだけど、先生(大八木)が書いてはくれないか、との話でした。いいけれども今M.O先生から頼まれてもそれはできないから、係の人から頼まれればいいですよとのことにしたのです。
数日後、係の平田和彦さんから電話があったのです。
その時の会話で、ああこの人(平田和彦さん)はアイヌ語地名については全く考えたことがない、よその県の人間だと分かったのでした。彼のアイヌ語地名の知識は東通村村史が一番でそれ以外はなしというものでした。

『宇曽利山湖の生態・・・うんぬん』と言われたとき、私は国土地理院の根拠のない、『宇曽利山湖』は良くないし、地元の人がいままで呼んでいる『宇曽利湖』((むつ市史民俗編・補記日本列島と青森県(東奥日報社))を使うべきでないか、私は宇曽利湖という名称を使うよ、それでもいいかと念をおしたのです。

(どういう検討があったかないかは知らないが、私の文にだけは「宇曽利湖は・・」となっています。)

そのときに、下北の人のなかには『アイヌ語なんて下北にはない』と東奥日報に投書した郷土史家(森勇男)もいたが、山田秀三というアイヌ語地名研究家は、やんわりとそういうことはないと諭したという山田秀三の記述も残っており、やはり山田秀三の解釈を一番参考にしなければならないのではないかと言っておいたのです。
「宇曽利湖」のアイヌ語地名解釈については山田秀三はこう言っているが、私はこう思っているし私のホームページにのせている。
同じく「恐山」のアイヌ語地名解釈については、わかってきたのでホームページやブログにのせているし、むつ市文化財報告書にも書いておいたし、日本地名研究所通信 第71号にも書いておいたと話しておいたのです。

「宇曽利湖と周辺の生物」についてごたごたがあったけど、結局、書き上げたとき、下北のアイヌ語地名についても書いてくれないかとK.H(平田和彦)さんに頼まれたのですが、下北ジオパーク構想ガイドブックには受け入れられる素地がありはしないのではとお断りしたのです。じゃあぼく(平田和彦)が書くと言い出したのでやめておいた方がいいと言ったのですが、私の忠告を聞かずに書いてしまったのです。下北ジオパーク推進ガイドブックの75ページ、恐山にみる下北のアイヌ語地名 (平田和彦・執筆・文責)なのです。

ひどいものです。
『恐山一帯を釜臥山・・などの外輪山からから見下ろすと、カルデラによる盆地地形がよくわかり』釜臥山から見下ろして盆地地形がよくわかりだと・・・このフレーズで 平田和彦さんは釜臥山には登ったことがないということを露呈しているのです。釜臥山からはカルデラによる盆地地形は見えないのです。見たこともないことを書き出したのですからあとは空想か本人の考えはオソマツこの上ないでしょう。

ましてや「アイヌ語でオソロは尻だ」と間違いを堂々と言い放ち、オソロ山が転じてオソレ山になったという説があると言っているがどこにそんな説があるのか、アイヌ語地名について、今年の初めまで東通村史のアイヌ語地名程度の人がそれまで調べたこともないのに、なにが説があるだといいたい。

むつ市史によればというくだりは私は「下北半島史による」と書いて置いたはずだがここは半パクリで結論がひどいもので、入江を意味する「ウショロ」がウソリ湖、さらにはオソレ山に転じたとも考えられると、下線部は平田和彦さんの考えだろう。

写真キャプションも『・・・・。今は湖から離れた高台である「林崎」も、そこはかつて湖畔の岬だったことを伺い知れる地名でもある』
 
これも平田和彦さんは何も知らない半パクリであることを露呈してしまった。林崎が何処なのかさえ知らないのだ。
これは平田和彦さんは釜臥山にも登っていないし、ほんとは恐山にも行っていないのではないかと疑いたくなる。
林崎を指させないのだろう。

1000回以上恐山に通ってアイヌ語地名を考えている私が思うのだが、たかだか数年ここにいて『湖から離れた高台である「林崎」』などとは、どこを錯覚させようとしてるんだと言いたい。

半パクリという根拠は私のホームページアイヌ語地名考の次の文だ。

『北岸から突き出た処を「林崎」という。小さいが半島と見なせる。林崎から湖に向かっての左右、そこに入江があるのだ。どこから見れば一番入江らしいかといえば、東の湯坂の高見から見下ろす、或いは西方の丸山方面から見下ろすと入江が見えるのである。』

ここに私は、林崎と入江(ウソリ)の位置関係を書いておいたのだ。これを見たろうオヌシ。

林崎が『湖から離れた高台』などと言う半パクリの人がこんなキャプションをつけるのじゃないといいたい。

半パクリは大変な誤解を生む。

半パクリの文でも文責は執筆者にありますから開き直られても(本人平田和彦はこう言ったのだよ。)

人がまじめにアイヌ語地名解を続けてきたものを熟考したものでもない、いいかげんなものでちゃかさないでもらいたい。

この孫引きがもしも広がったら罪はないのかな。

追記はまだまだ30くらいあるのだがまた、ほってはおけないと感じたら書きます。イライラしないようにと自分をなだめながらね。

私は下北ジオパーク構想にはなんの文句もいうことはしない。

ただし下北ジオパーク構想ガイドブックの内容にウソや歪曲はいけないといっているのだ。ましてウソを小中高生新採教員に出前講座などで広めるようなことなどはあってはならないということだ。ガイドブックの役割を考えろということだ。


科学者は常に真理をありのまま語るべきだ---リチャード・ファインマン(ロバート・ゲラー博士の師)

自分は正しいと思ってはいけない。神様ではないのだから。相手の言うことをよく聞こう。
相手の意見が自分と違っても相手の方が正しいのかもしれない・・・・と武田邦彦さんは言っているが。

追記5 やはり書いておこう。間違いは直せばいいのだ。
むつ市長宮下宗一郎の名で『時の言葉 ジオパークは難しい・・・・か?』というPDF
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がWEBに載っているのでそれについて書こう。

文中を抜き出します。

『たとえば、ホタテの話。なぜおいしいのか。ジオ的に説明するとこうなります。
◎下北の森林 広葉樹が多い
◎雪解け水 広葉樹の腐葉土を透過してくる栄養塩が多く含まれる
◎白神山地の雪解け水も 海流で陸奥湾に入ってくる
・・・・・
・・・・・
こんな自慢話』とくる。

これは根拠のある話でしょうか。
下北の国有林の図です。
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陸奥湾に流れ込む川は脇野沢(白いえぐれ)、川内川他3本ぐらい、田名部川(真っ白)今泉川、近川など白民有人工林か市街地。
この地域の雪解け水が来るのでしょう。
ついでにあまり手をつけていないはずの国定公園の図を示します。ここは天然的?なものが多いでしょう。

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下北の国有林の針葉樹と広葉樹の量があります。
   人工林では針葉樹50万立方mと広葉樹10万立方m
   天然林では針葉樹54万立方mと広葉樹61万立方m

   合計では針葉樹104万立方m と 広葉樹71万立方mです。どちらが多いですか。

   『◎下北の森林 広葉樹が多い』というのは勘違いでしょう。
  
下北ジオパークなのに『白神の雪解け水』と有名だろう『白神』の名を出して、そのの何十万分の一かの海流の陸奥湾へのおこぼれをさも恵みにするのは、自立してないとみなされはしませんか。

文中の自慢話ふたつめ
『それから、恐山の話
◎・・・・・・
◎・・・・・・
◎まず、活火山
◎白い岩 噴出している硫黄で酸化
◎酸性の湖 生物が少なく透明度が高い
◎・・・・
◎・・・・・
これも自慢話』

噴出している硫黄で酸化 硫黄でなんか酸化するか、なにをかんがえているのだろうか。

次の酸性の湖 生物が少なく透明度が高いがどういう論理か考えよう。
湖は酸性なのは知っている。酸性だから生物は少ないのだろう。ということは貧栄養湖であるから透明度は高い。と頭の中で考えて透明度が高いと自慢話にしたいということだろう。透明度が高いと自慢話にしたいとは何メートルくらいでしょうか。透明度は支笏湖で17メートルくらいだから、これに比べどれくらい?

だが、聞いても意味はない。実態は違うんだなー。

酸性の湖まではいい。生物が少なくではなくて、生物種が少ないのですよ。

硅藻やワムシやミジンコなどプランクトン類はうじゃうじゃいて、ミズムシ、ユスリカ、などもいて富栄養湖なのですよ。
そのまえに宇曽利湖の深さは知っていますか。11-15mです、急に深いところがあって27mでした。

透明度盤は6-7メートルで見えなくなります。20mぐらいのところに潜水したら見えないと言っていました。

透明度は自慢話にはできないのではないでしょうか。

市長さまの名になってはいますが、書いたのはむつ市のブレーンさんでしょう。根拠のないものは自慢になりませんでしょう。ホラならいいがウソになっては、お互いよくはないでしょう。

むつ市のこの文(市政だより)を書いた人は市長を認識不足のひと、あるいはウソに気がつかない人にしてしまっている責任を感じないのでしょうか。



閑話休題 アポイ岳ジオパークのパンフです。

私の尊敬する柴先生が、『アポイ岳ジオパークにはぼくも関係したんです』とボソっと云ったので、なおのこと行ってみたいという気をおこさせるジオパークだと感じている。

わたしにとっては何よりアポイマイマイがいるからね。これが魅力なんだけど。
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などと続くのだが、
様似町(さまにちょう)アポイ岳ジオパークのパンフの
『ジオパークとは 「ジオ」は地球や大地を意味する言葉。学術的に貴重で、美しい地質や地形を持つ自然公園がジオパークです。』としている。

かんらん岩という特殊な土壌に生育する高山植物やアポイマイマイやヒメチャマダラセセリなど生物と岩石の関係を最初にもってきているので、生物好きの私には魅力を感じるのだろう。渓谷幌満峡(ほろまんきょう)やマグマが冷えかたまったひん岩の様似海岸や耶馬溪(やばけい)へとつづく。後半、ミュージアムやお楽しみスポットそして山の幸海の幸大満足、うまいがいっぱいおもてなしが続く。

まあ、こんなもの。

岩石などと特徴付ける生物という考えが下北ジオパーク推進委員会のなかにあれば、前掲の市長の自慢話の二つ目

『◎酸性の湖 生物が少なく透明度が高い』というところは、

なんら自慢にはならないが、世界の無機酸性湖で最も強い酸性(pH3.6)で生きて行ける魚類、耐酸性の宇曽利湖ウグイ(青森県レツドデータにも載っている)が生息する--を頭から消し去り、

いやいや『透明度が高い』の方が観光としても自慢になると考える方向性は、

副題の~下北に生きる意義と自然資源の価値を再発見~という、自然資源とは人のためになるもの、金になるということだけを第1に考え、それを保全するという姿勢なのが、よくあらわれているものだと思うのです。


追記6  むつ市内の畑中歯科矯正歯科というホームページがあった。右のお気に入りリンクブログにいれておいた。

下北ジオパークが前回に審査され認定されなかった事柄について、落ち着いた検証と分析をなさっている方なのだと思われた。「第21回日本ジオパーク委員会審査結果報告書(H26.9.27)」の要約
これをうけて27年、今年平成28年とやってきたのでしょうが。そして4月に下北ジオパーク構想ガイドブックが10000冊印刷されたのでしょう。はたして審査結果のどの部分が考慮されたのでしょう。
畑中先生の要約の一部を掲載させていただきますが

『また地質学に偏りすぎていて、地理学、生態学、考古学、民俗学等々の整理が不十分であり、アイヌの歴史文化などの先住民文化の保全や取り組みが求められる。』とあり、

26年に指摘されても28年のガイドブックの内容を見る限り、なんら改善というか、考察されたというか、その形跡はないのではないかと疑いたくなります。

わたしの立場は、ガイドブックというものは、ウソや間違いで他人をガイドしてはならないという一点だけでこういうブログを書いているだけですが。40年以上を下北をフィールドにして生物やアイヌ語地名などに関心を寄せ勉強してきたのでその部分しかわからないのですが、ウソや間違いはないかと自然と目が行くのです。

審査結果を受けての畑中先生の提唱する名称・『本州最北端ジオパーク』というのはむつ市では論議されたのでしょうかね。





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この写真とキャプションをみてなにも感じない人は下北人ではないだろう。
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こういう手合いのことは文中にもみられ、云ってみればウソ記事があるということだ。

ガイドブックがウソだったらどうなる。2つ,3つや誤植なら正誤表で直せるが、今回はそうじゃないのだろうか。

だーれも口を開かない。


なにも分からない人の為にどこがウソか知らせましょうね。

上の方、アサヒカメラのシーナの写真日記の方は

写真はむつ市脇野沢の鯛島たいじまというのですが、ここの近くには60分歩いたぐらいのところにも路線はなく無人駅もありません。

下の方下北ジオパーク構想ガイドブックの方は

『釜臥山展望台より望む恐山カルデラ。・・・・・』とあるので

釜臥山展望台へ行けばこういう景色が見られると思って行ってご覧なさい。

ウソだということがわかります。いわば詐欺でしょう。

追記1 もひとつ例をあげましょうか。

あるページの文中では
『芦崎湾には、・・・、毎年100羽を越えるコクガンやオオハクチョウが越冬する。』

とあり、別ページの地図上には
『 芦崎湾   ハクチョウ・コクガンの飛来地 』

となっています。これをみてどちらか分からない人は

『冬に芦崎湾にいけば100羽を越えるコクガンやオオハクチョウが見れるのだな』と考えるでしょうか。

『ハクチョウ、コクガンの飛来地なら、見れるかどうかはわからないな』と普通は判断が分かれるのです。

ても文中だけみた人はちゃんと執筆者名もかいてあるのだから、冬なら見れると判断してしまうでしょう。

さて、どうでしょうか。冬に越冬地の芦崎に来てご覧なさい。

そしてあなたはこのガイドブックをどう評価すればいいか。

越冬地と飛来地の両方書いて置かなくとも言い訳ができるようになっています。

下北人なら誰でも分かるこんなことさえチェックされていないのです。


追記2 これはかなりのウソっぱち、歪曲した論理の文を紹介しましょう。

『目の前の遙か遠い北海道-深い海峡が生んだブラキストン線-』という半ページ分の記事。(追記これも文責は平田和彦である。現・千葉県立博物館 学芸員、なんの分野か知らないがブラキストン線をこのように解釈しさらにウソをおりまぜて説明する人物だと言うことを千葉県立博物館は知るべきではないか。これを間違いでしたと謝り、訂正する気があり、それをしたのならば許されもしようが、文責はわたしにあります、自分はまちがっていないと言っている限り、ここに実名を載せることにする。こういう間違いを放置したままなにもしない、むつ市と文責者の、回収できなかった約6000冊を見ている子供たちや市民にウソを提供しているという罪意識のなさに驚くほかない)

途中『ヒグマとツキノワグマ、ユキウサギとニホンノウサギのように、同じ仲間でも下北と北海道とでは別の種が生息している。』

ふむふむ
『この理由は、津軽海峡の深さにある。約2000万年前に日本列島ができて以来、北海道と下北とは一度も陸続きになったことがない。』

ふむふむ
『最大深度400m以上の海峡が下北と北海道を隔て、陸上生物の分布域拡大を阻んだのだ。』

ほうほう
『この分布境界線は、提唱した動物学者の名を冠し、ブラキストン線と呼ばれている。』

おやおやおやおやなんか怪しくなってきた。

『北海道が南限のイトウやオショロコマのように海を渡れない淡水魚はもとより、下北が北限のアオゲラやヤマドリのように空を飛べる鳥類ですら、どちらかにしか分布しない種は多い。』

あちゃーやっちまってら-

『過去一度も陸続きにならなかったので、ブラキストン線はマンモス(北海道)とナウマンゾウ(本州)のように1万年以上昔の生物にも当てはまる。』

あれあれあれあれ大変だ。

それかと思えばまた
『下北は、南から北へと分布域を広げてきた多くの生物にとって、それ以上北進できなかった終着点なのだ。』としめくくつてしまった。

歪曲部分を示しましょう。

その前に正しいブラキストン線解釈を示しましょう。
トーマス・ライト・ブラキストンは元軍人のハイアマチュア博物学者で函館で貿易商をやりながら銃などで得た鳥類標本を千点以上北大博物館に残している。そこで、鳥類では津軽海峡を境にして異なる種が分布すること、哺乳類のいく種かも分布の境があることを述べてしかいないのに、後に北海道と本州を隔てる津軽海峡に生物分布の境界線があるという後年の拡大解釈でブラキストン線と名付けられているのであります。

では、下北ジオパーク構想ガイドブックのこの文のなにが歪曲かといえば

『北海道と下北は一度も陸続きになったことがない。』といいつつ『この分布境界線をブラキストン線と呼ぶ』といっている点にあるという事なのです。

いいですか、ブラキストン線とは北海道と本州を隔てる津軽海峡を境界線とみたわけで

北海道と下北を隔てている津軽海峡の一部分だけをいうのではないのに、こじつけているのです。

青森県には西に津軽半島、東に下北半島が突き出ているのですが、下北半島側は深いから一度も北海道と陸続きになったことはないと云っており、西の津軽半島側は浅くて氷河期に海面が140mくらい低下し陸続きになっても(両半島を隔てている陸奥湾は深くて50mなので完全に陸化し両半島はつながり半島の区別はなくなるのに)、下北は一度も北海道と陸続きになったことはないと言い張っているのです。これはひどい歪曲でしょう。そう思いませんか。

またひどいウソをついてしまいました。『イトウやオショロコマのように海を渡れない淡水魚はもとより・・・』のところですが正しいものを見て下さい。次です。

イトウは小川原湖では漁獲対象魚で1892年には1トンの漁獲量があり、1990年まで漁獲対象魚として見られた。岩手県北部までみられたが、1992年7月18日青森県の大畑川で48㎝9年魚の採捕が最後となっているのです--青森県内水面事業報告書などから。

オショロコマを例に出すのはどうかねー。よくはないでしょうね。

『過去一度も陸続きにならなかったので、ブラキストン線はマンモス(北海道)とナウマンゾウ(本州)のように1万年以上昔の生物にも当てはまる。』

これについては
ナウマンゾウは北海道忠類にはごろごろ化石が出ているし、札幌にも出ているようだが、どう説明してくれるのか。
下北から直接は行けなかったはずですと弁明するのでしょうね。ここには下北は過去一度もと書き忘れたのでしょうね。

こういう調子で、小・中・高等学校などにたくさん出前講座を開いたのでしょうね。困ったものですね。

追記3 

 小中学生、あるいは下北を知らない人たちに。はじめて下北ジオパーク構想ガイドブックをみたとしたら、次の表現があるのですが、あなたはどういうことを想像しますか。

1.下北の大地は四方を海に囲まれている。
  津軽海峡や陸奥湾では・・・・・が生息する。太平洋からの沿岸親潮の・・・・・・生物も混在する。

2.一方、四方を陸に囲まれた穏やかな陸奥湾では
  ホタテや・・・・展開されている。

さて問題です、下北の大地、と陸奥(むつ)湾の形を想像して描いてみて下さい。

まともに考えてはダメなのです。ガイドブックとしてどうなのかはそれぞれが判断すること。

大手出版社も地方公共団体が出版したものも気をつけなければならないのです。ウソ 下北ジオパークで検索すればいくつか記事がつづきます。

by snowmelt | 2016-08-04 10:53 | Comments(4)
Commented by kimoto1 at 2016-08-02 01:49
お久しぶりです。釜伏山に数回登ったことしかない私でも、カルデラ湖が見えないことは存じております。笑
ジオパーク構想に関する活動、私も注目しておりますがいろいろと思うことはございます。地元に根を下ろしたしっかりしたアドバイザリーがおられるとよいのですがね。(弊社も過去に関係していた手前、少なからず責任を感じますが。今もかな?)
Commented by snowmelt at 2016-08-02 09:01
いゃーキモpさんお久しぶりです。エゾホトケドジョウの面白いことがわかって来たのですよ。まだ受理されてないのですが、DNAで、下北のが在来だったということ、北海道では1ヶ所はまるで遺伝子の異なる、つまり新種になるだろう(サハリンとは異なると思われるので)のが採れて、詰めの段階に入っています。昨年まではガサガサのし通しでした。今年はねらったところだけのつもりです。
Commented by kimoto1 at 2016-08-11 22:58
エゾホトケドジョウのご研究、着々と進んでおられるようですね!おめでとうございます。新しい解釈ですね!
そうしますと、下北のが北海道に渡ったという結論になりそうですね。ますます面白いです。DNAの変異から分岐した時間がよめませんかね?分岐した(渡った?あるいは移入された?)のがいつなのか、いわゆる氷期の時期に該当するのか、淡水の生物が移入できたのかどうか、そして他の種についてはどうか、とても興味があります。受理されたらぜひお知らせください。
Commented by snowmelt at 2016-08-12 09:32
kimoto1さん、サハリンからやってきて北海道黒松内まで分布というのが30数年来の北大G先生を中心とした定説的なものでした。ところが、遺伝子時計でいろいろ考えると15万年前に下北にきたということが一番良いと考えられるのです。リス氷期のときです。それは北大のG先生も認めざるを得ないなとおっしゃいました。


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