北のフィールドノート

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2013年 11月 12日

青森・下北のアイヌ語地名 灯台と寒立馬の尻屋

太平洋戦争のときに青函連絡船はアメリカ軍の空襲爆撃を受けている。

陸奥湾内の大湊基地・艦船は激しい爆撃、航空機銃撃を受けている。

航空機銃撃を受けている最中に、義母は防空壕の中に居たので、その様子は全くわからなかったと云っていた。

「喜びも悲しみも幾年月」のロケが行われたかどうかは知らないが

『太平洋戦争末期の昭和20年7月、尻屋埼灯台は数回にわたってアメリカ軍の空襲を受け、灯台の施設のほとんどが破壊され、当時勤務していた村尾標識技手も殉職した。』とある。

『空母ヨークタウンよりFG-1Dコルセア戦闘爆撃機×4機及びF6F-5P空撮用ヘルキャット×4機が発進』して迎撃は皆無状態で、北海道の列車、石炭運搬船、青森の尻屋灯台等を銃撃、とある。

今は無人の灯台が立っている。
青森・下北のアイヌ語地名 灯台と寒立馬の尻屋_e0039759_1128949.jpg

海上保安庁ではおおむねサキはつちへんを使うので、「尻屋埼灯台」と書き、土地名は「尻屋崎」とやまへんを使うとある。

その尻屋はアイヌ語からきていることは、多くの人に知られているが、てきとーな解釈も多いみたいだ。


山田秀三は『しりやの語源はアイヌ語のsir・yaで、その意味は直訳すると「陸・岸」「ヤは陸岸」になります。』と書いてある。


エミシ学会の菅原進先生は-エミシのクニの-アイヌ語地名解(2011年4月発行)のなかに、

これ(山田先生の)では、感性ゆたかなエミシの人たちの真意をくみとった解釈ではないのではと次のような解釈をしています。

『海際に迫る険しい断崖の・岸』『ヤは陸岸』という解釈をなさっています。

私も何回も尻屋の崖に登り、これはもう行けない、完全に無理だという断崖・海に落ち込む断崖の一端を見ていますので、

これは、単に  「陸・岸」  よりも、その様をあらわした

「海際に迫る険しい断崖の・岸」  のほうをいただきたいと思います。

左端崖下が海になっています。
青森・下北のアイヌ語地名 灯台と寒立馬の尻屋_e0039759_12172443.jpg

この、山際ちかくに集落があります。
青森・下北のアイヌ語地名 灯台と寒立馬の尻屋_e0039759_1219288.jpg

この道路に向かって左後ろの方向には全く山はなく、岬へ、灯台への方角となっています。
その岬方向には、貝塚遺跡などがいくつかあり、「浜尻屋には遺跡がある」という言い方をしますが、
ハマの方の尻屋と云うことで、いいのですが、sir・ya という意味を考えてしまうと、あれま変な意味だーと感じます。
青森・下北のアイヌ語地名 灯台と寒立馬の尻屋_e0039759_122269.jpg


この道を行って左にまわると、寒立馬と呼ばれる半野生馬が冬場には集められてすごす、エサをもらう、「アタカの森」という場所があります。突き当たりに「アタカこの先1.6キロ」というような看板があります。

その「アタカ」が何を意味するか、やっと納得のいく姿を 撮影できていたのでそれはこの次に。

つづく

by snowmelt | 2013-11-12 12:27 | アイヌ語地名 | Comments(0)


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