北のフィールドノート

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2013年 04月 22日

エゾホトケドジョウの報文(青森のは移入ではない)

「エゾホトケの青森県下北半島における分布と北海道産との形態比較」について

去年の10月から3ヶ月ぐらい、

山にも行かず、

ブログの更新もせず、

それでいて病気でもなく

家で頑張っていた報文が印刷されました。

別刷りを昨日受け取ってきたところです。
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今まで、淡水魚のカテゴリーでちょこちょこ出してきたのですが

青森のエゾホトケドジョウは一般に移入といわれているけれど

移入か否かといえば、ほぼ否だという人は私ぐらいなものなのです。

学者さんは論文を信じたり検討したり判断したりしかしないものみたいです。

『エゾホトケは北海道の石狩低地帯あるいは少し西の黒松内地域より東に分布するものである。

それより西南には見られないもので北海道特産種である、よって

北海道黒松内より西南にいるエゾホトケは人為的に移入したと考える』というのが学者の考えなのです。


私はフィールドで直に現物をみて考えるというふうにできていますので、

人の書いたことはうのみにはしないのです。

青森県の岩木町(今は弘前市)でエゾホトケが見つかったときに、『聞き取りによって藤崎のドジョウ仲買業者が北海道の岩見沢付近からドジョウ(まどじょう、北海道では本州のドジョウという意味でナイチドジョウと呼ぶ食用ドジョウ)を仕入れたことがある。それを水田で畜養していたときに逃げたのがいる。その逃げたもののなかに食用にならないエゾホトケが混じっていた可能性がある。岩木町一町田で大量(50匹だと)に見つかったのはその可能性の逃げたやつが増えて隣町までいったに違いない』と書いた人がおる(竹内基ら1993、日本生物地理学会)ので、

岩木町のエゾホトケは移入であると一般に言われるようになったのです。

根拠は聞き取り調査です。
混じっていたに違いないという推測です。逃げたという推測です。増えたに違いないという推測です

推測しかないものは疑ってもいいでしょう。

岩木町のエゾホトケは新聞にも出たので公になりました。


下北半島にもエゾホトケがいました。

最初に報告したのは私なのですがこれも人為分布か自然分布か分からなかったのです。

そうしたら、

『下北は海に沈んでいる。

淡水魚がここに来るには人為的なことしかない。

東通村の目名というところにしかいないのだから?目名のエゾホトケも人為分布である。』


岩木町のも下北半島のも一緒くたに移入だと日本生物地理学会に書いた人(竹内基ら、1993、日本生物地理学会)がいたのです。

下北のは公になっていませんのであまり知られてはいません。

でも論文?を信じる学者さんは、信じるものはこれしかなかったのですから、

聞き取り推測を信じた学者さんは「青森県にもエゾホトケが分布すると言われているが、これは移入によるものだ」、と断定する人になり、

聞き取り推測をやや疑問的にみる学者さんは「移入によるものらしい」という表現になり、


聞き取り推測は疑問だとみる学者さんは「移入によるものか自然分布なのか明かでない」

という表現になるのでした。

環境省に関係している学者さん達は「移入」と決めつけているようです。

長々と書きましたがこれが前提でありました。

そこを、私は実際にフィールドを歩き、実物を見て、目名の一ヶ所ではないこと、北海道のエゾホトケと比べてここが違うということを示して、

「エゾホトケの青森県下北半島における分布と北海道産との形態比較」というタイトルで

北海道のエゾホトケと青森下北半島のエゾホトケには移入関係はないということを3ヶ月かけて書いたのでした。

北海道といってもひろいですからね、下北半島なんか何十いや百ぐらいはいるのですかね、

そこの黒松内より東にしたって広すぎです。広いけれど局所的にしかエゾホトケはいないようです、その中で

美幌町(網走川)、豊頃町(十勝川、札内川)浦幌町(利別川)といった道央から東半分しかみていないので

まだ、完全な結論には至っていないのですが、まずは東半分からの移入はないと結論したのです。


東半分と西半分で形態が違わないかどうか、これには疑問があります。

道央から南は日高山脈が東西をわけているのですから。

ニホンザリガニの場合、日高山脈が分布の東西を区切りにきわめて違うということです。

エゾホトケは樺太→宗谷と南下したのが網走→十勝と同じような形態のままです。

樺太→宗谷と南下したのが天塩→石狩→勇払とくる時はどうでしょう。

網走→十勝と同じように変化するとは思えないからです。少しは違うでしょう。

しかし、明治以前に牛馬の交通手段の時に、だれが下北半島の中の10以上の離れた水域に、食べもしないエゾホトケを北海道の黒松内より東から函館方面まで生かしてもってきて、

大間町に来ないとすれば青森港に入り、鉄道、牛馬で100km運んできて、さらに50kmはなれたところまで生かしてもってきて、移入してそれが増えていくということにならないと今の分布にならないのです。

大間に来たとしてもキノップ峠を牛馬で越えてむつの南端の近川まで、西は川内まで誰が行くのでしょう。

なぜ、明治以前牛馬の時代かと言えば、明治に陸奥湾には水雷軍の軍港要塞として立ち入りができないところができました。現在は防衛省の敷地内です。今はその中にエゾホトケもいるのです。だから要塞のなかに食用にもならないエゾホトケを放して離れた数カ所に定着させようとするならば、要塞ができる以前の明治以前の牛馬の時代ということしかないと思っています。

食用ドジョウは、なにも北海道に行かなくとも何処でもかしこでもいるわけですから、わざわざ北海道の黒松内より東でドジョウがいて、ドジョウを採ったときにエゾホトケが混じっているというものを本州までもって来ると考える人もすこしはいるのでしょうかね。

ここに「エゾホトケの青森県下北半島における分布と北海道産との形態比較」のPDFをおきたいと思いましたがどうやったらいいのか分からないので、ホームページの方におきました。
北のフィールドノートのホームページの右端の生物考(←ここをクリック)というところに PDFがあります。

by snowmelt | 2013-04-22 19:58 | 淡水魚類 | Comments(0)


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