北のフィールドノート

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2005年 11月 20日

サケ 遡上終盤

下北半島の陸奥湾側の河川ではサケの遡上が終盤をむかえている。
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これらは河口から2キロもいかないところだ。
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かなり傷んではいるが、まだホリ(産卵床)を掘っているもの、争っているものが見られるのでここで産卵しているのだろう。
ここでは、川幅を全部柵で仕切っている。岸に近いところに捕獲用の檻が沈められていて、遡上しにきたサケを檻ごと引き揚げ捕獲している。
捕獲してからどうするかって。棒で撲殺するのさ。三人か四人で頭をたたいている。
こっち岸に近いところは道路そばなので車を止めて見ていれば、暴れている音と、ゴンゴンゴツと撲殺音が聞こえる。あの人達は仕事でやっている。近くにふ化場があるのでたたいて、そのまま持っていき、ふ化に使うのかもしれない。あるいは漁協に行くのかもしれない。

我々は生き物を食べて生きている。自らの手を下さずに誰かが処理した物を食べている。
アイヌの人々はすべての生き物や物に神(魂だろう)があるという考えを持っていた。今もそうかもしれない。サケやシカは多かったので一匹一匹送ってやるべき神はないようだ。
クマやその他の小動物には目と目の間に神(魂だろう)がある(いる)。
その生き物を丁重に殺すとき、その生き物は肉や皮を我々のもとに置いて、眉間の神は上に登っていき、再び、肉と皮を着てまたきっとやってきてくれる。
サケの場合、魚は魚を支配する神、または魚をおろす神の握っている袋のなかにある。この神が機嫌がいいときは袋がひらかれ豊漁になる。
魚のことをアイヌの人々はチェプ(主食という意味)と呼んだ。サケは川でとれる最も重要なものであったので、シペ(シ・イペで本当の食糧の意)とか、カムイ・チェプ(神の魚)とか云った。
もちろんサケに魂が存在する。頭をたたく棒は新しいヤナギかミズキの片方を削った美しいイサパキクニ(頭叩棒)をつかう。それが礼儀だ。もしも川の石や腐った木で頭をたたくと、魚は悔し泣きになきながら、魚を支配する神の所に帰るので、神は怒って魚をおろさなくなる。(コタン生物記Ⅱ更科源蔵・光著の内容の一部)
我々は生き物の命を戴いているという感覚が麻痺してしまっている。
青森県で地域起こしのためにサケ釣りを解禁させるという。
ゲームだ。
どこそこの町でサケのつかみどり競争だと。飽食の日本だから、我々が生きるために食べさせて戴くという感覚は全くなく生命をもてあそび、生き物を殺すことを奨励している。
テレビの中で楽しがってサケを捕まえてる子よ、宇宙人がやってきて、ゲームのために人間を狩る、あるいは、追いかけて殺すといったことになったときと同じだと思うんだがね。そんな風には考えないかね。宇宙人はこないけど。

by snowmelt | 2005-11-20 00:17 | 淡水魚類 | Comments(0)


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